保守も革新も関係ない。
これは沖縄の尊厳の問題だ
「オール沖縄」。この言葉を初めて聞く人は、沖縄の全県民が一枚岩になった政治運動を想像するかもしれない。しかし実態は、そう単純なものではない。保守と革新が手を組む──日本本土では考えられないこの「奇跡」は、なぜ沖縄でだけ可能になったのか。そして、なぜ今、その連合体は崩壊の淵に立っているのか。
この物語を理解するには、二人の男の人生をたどる必要がある。一人は、自民党の保守本流から沖縄の旗を掲げ続けた翁長雄志。もう一人は、米軍人の父と沖縄の母の間に生まれ、ラジオのマイクから政治の世界へ飛び込んだ玉城デニー。









小学1年から父の選挙運動を手伝い、12歳で「那覇市長になる」と級友に宣言。法政大学法学部に琉球政府奨学金で進学し、1972年の沖縄復帰を東京で迎えた。在京中「琉球人お断り」の差別を経験──これが後の政治信念の原点となる。
周囲からは「信念の人」「闘う保守」と評された。共産党の志位和夫委員長と共闘した際には「一緒に行動して本当に違和感がない。なぜもっと前から一緒にならなかったのか」と語った。
魂の飢餓感 ── 基地により人命や生活が脅かされ、尊厳や誇りも傷つけられる沖縄県民の心情── 翁長雄志の代名詞的フレーズ
文科省が高校教科書から沖縄戦「集団自決」の軍強制記述を削除。多くの生存者が「軍から手榴弾を渡された」と証言しているにもかかわらず──。県民の感情は「沖縄戦の記憶を本土に否定された」という怒りに変わった。
9月29日、宜野湾海浜公園に11万6千人が結集。保守の仲井眞知事も、自民党の翁長那覇市長も壇上に立った。保革の壁が溶けた瞬間だった。
平和を希求する思いは保革を問わず、全県民の根底に流れていることを実感した。── 翁長雄志、県民大会にて
→ この「保革を超えた結集」の成功体験が、7年後の「建白書」(全41市町村長署名)とオール沖縄結成への直接的布石となった。
2009年の政権交代で「最低でも県外」を約束した鳩山由紀夫は、わずか8ヶ月で撤回。「学べば学ぶにつけ、海兵隊の抑止力が分かった」──後にこの「抑止力」は「方便だった」と本人が認めた。
県民の感情は「失望」を超えて「諦め」に変わった。本土の政治に期待しても裏切られる。保守も革新も関係なく、その認識が沖縄中に広がった。日米安保を支持してきた保守政治家・翁長にとっても、日本政府への不信は決定的なものとなった。
→ 「本土の政党に頼らない」という意識が、2年後のオスプレイ反対県民大会と建白書提出へとつながっていく。
仲井眞知事は「県外移設」を掲げて当選していたにもかかわらず、安倍首相との面会後、年間3,000億円×8年の振興予算と引き換えに辺野古埋め立てを承認した。県民の感情は「裏切り」に煮えたぎった。
翁長は仲井眞を「県民への裏切り」と断じ、自民党と決別。辺野古反対を貫く自民党地方議員、金秀グループ、かりゆしグループなどの保守・経済界が翁長のもとに結集し、「オール沖縄」が形を成していった。
イデオロギーよりアイデンティティ。── 翁長雄志
→ 翌2014年11月の知事選で翁長が約10万票差の圧勝。同年の衆院選でもオール沖縄が沖縄全4区を制覇し、保革共闘の「奇跡」が実現した。
2014年11月、約10万票差で圧勝。2015年に埋め立て承認を取り消し、国との法廷闘争を開始。同年9月、国連人権理事会で沖縄の自己決定権を訴えた。
ウチナーンチュ、ウシェーティナイビランドー(沖縄の人をなめてはいけない)── 翁長雄志、2015年県民大会
2018年4月、膵臓がん手術後に肝臓転移が判明。「12月まで持たない」と覚悟しながら、家族以外に病状を伏せて公務を続けた。7月27日、抗がん剤の副作用で口内炎が口全体に広がり、まともに歩けない状態で命がけの記者会見に臨み、埋め立て承認「撤回」を表明。
何百年も苦労してきた私たちの沖縄が、やっと飛び立とうとしている。その足を引っぱろうというようなものは、到底容認できない。── 翁長雄志、2018年7月27日 最後の記者会見
8月8日、浦添総合病院で逝去。67歳。病室で妻・樹子に「県民に足りないと言われるかもしれないけど、自分にできることは精いっぱいやった」と語った。樹子は答えた──「あなたに足りないと言うウチナーンチュはいない」。
翁長の死は「弔い合戦」の号砲となった。生前に残された音声録音で後継指名された玉城デニーは、9月30日の知事選で復帰後最多の39万6,632票を獲得して圧勝。翁長の息子・雄治に繰り返し語っていた言葉は、そのままオール沖縄の遺産となった。
ウチナーンチュが心を一つにして闘うときには、おまえが想像するよりもはるかに大きな力になる。── 翁長雄志、息子・雄治に語った言葉
1959年、米軍統治下の与那城村(現・うるま市)に生まれる。母は伊江島出身の玉城ヨシさん。辺野古方面で住み込みの仕事に就いたため、1歳から10歳まで与那城村の母の友人・知花カツさん宅に預けられた。生みの母を「アンマー」、育ての母を「オッカー」と呼び分けた。小学4年で母と暮らし始め、「康裕」に改名。
与那城小学校、与勝第二中学校を経て、沖縄県立前原高校へ進学。入学当初はバレーボール部に入るも半年で退部し、応援団のリーダー部へ。長髪にしてロックバンド「ウィザード」のボーカルに。ギブソンのエレキギターを剥き出しのまま登校し、コザの歓楽街で米兵の前でロックを演奏するヤンチャな青春時代を送った。
高校卒業後、上京して上智社会福祉専門学校(福祉主事任用課程)を卒業。帰沖後は福祉関係の臨時職員、インテリア内装業、音響関係の会社を経て、30歳でタレントとして独立した。
子どもの貧困対策を「県政の最重要政策」に位置づけ、基金を30億→60億円に拡充。保育料無料化、中高生バス無料化、子ども医療費無料化を実現。経済面ではアジア経済戦略構想や万国津梁会議を新設。2023年の国連人権理事会やワシントンD.C.での発信など国際的アプローチも積極的に展開。フジロックでギターを弾くなど親しみやすさを見せる一方、政策実行力や政治資金問題で批判も受けている。






| 年 | 選挙 | 当選者 | 政党 | 得票数 |
|---|---|---|---|---|
| 2014 | 知事選 | 翁長雄志 | 無所属(オール沖縄) | 360,820 |
| 2014 | 衆院選(全4区勝利) | 赤嶺・照屋・玉城・仲里 | 共産/社民/生活/無所属 | ── |
| 2016 | 参院選 | 伊波洋一 | 無所属(オール沖縄) | 356,355 |
| 2017 | 衆院選(3勝1敗) | 赤嶺・照屋・玉城 | 共産/社民/無所属 | ── |
| 2018 | 知事選 | 玉城デニー | 無所属(オール沖縄) | 396,632 |
| 2019 | 参院選 | 高良鉄美 | 無所属(社大党) | 298,831 |
| 2022 | 知事選(再選) | 玉城デニー | 無所属(オール沖縄) | 339,767 |
| 2022 | 参院選 | 伊波洋一 | 無所属(オール沖縄) | 274,235 |
| 2025 | 参院選 | 高良沙哉 | 無所属(オール沖縄) | 265,203 |
| 年 | オール沖縄系 | 得票 | 自民系 | 得票 | 票差 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2016 | 伊波洋一 | 356,355 | 島尻安伊子 | 249,955 | +106,400 |
| 2019 | 高良鉄美 | 298,831 | 安里繁信 | 234,928 | +63,903 |
| 2022 | 伊波洋一 | 274,235 | 古謝玄太 | 271,347 | +2,888 |
| 区 | 2014 | 2021 | 2024 | 2026.2 |
|---|---|---|---|---|
| 1区 | 赤嶺○ | 赤嶺○ | 赤嶺○ | 赤嶺× |
| 2区 | 照屋○ | 新垣○ | 新垣○ | 分裂× |
| 3区 | 玉城○ | 屋良× | 屋良× | 屋良× |
| 4区 | 仲里○ | 金城× | 金城× | 砥板× |
| 勝敗 | 4勝0敗 | 2勝2敗 | 2勝2敗 | 0勝4敗 |
GHQの民主化政策のもと、戦前の皇国史観教育への反省から「教え子を再び戦場に送るな」をスローガンに結成。初代委員長は荒木正三郎。設立時の組織率はほぼ100%。
組織率は1958年に約86.3%のピーク。1958年の勤務評定闘争、1961年の学力テスト反対闘争(旭川学テ事件→1976年最高裁判決)、1975年の主任制反対闘争と、「闘う組合」のイメージを確立した。
1989年、連合結成に参加する路線を選択。反対派(共産党系)が離脱し全教(全日本教職員組合)を結成。1995年に文部省との「和解」に踏み切り、「参加・提言・改革」路線へ転換。
旧社会党→民主党→立憲民主党の支持母体。山梨県教組出身の輿石東は民主党幹事長を務めた。北海道教組の違法献金事件(2010年)、山梨県教組の選挙活動問題、日の丸・君が代問題(東京都「10.23通達」)など論争も多い。
1952年に前身の沖縄教職員会が結成。「祖国復帰」の最大の担い手の一つとして復帰運動を牽引。1967年の教公二法阻止闘争では大規模ストライキを展開した。
日教組に加盟し「沖縄県教職員組合」に改称。平和教育の推進を最重要課題に位置づけ、6月23日(慰霊の日)前後の学習推進、ガマ・戦跡の活用、体験者証言の継承を組織的に推進。組織率は全国平均(18.8%)を上回る。
沖縄の学校では「平和教育」が広く実施されている。ひめゆり学徒隊の悲劇(240名動員、136名犠牲)を伝える資料館、ガマ(自然洞窟)、平和祈念公園など県内の戦跡を活用した学習が特徴。全国から年間約2,000校が修学旅行で沖縄を訪れて平和学習を行う。保守系からは「反基地・反戦に偏った教育の政治利用」との批判もある。
文科省が高校教科書から沖縄戦「集団自決」における軍の強制・命令に関する記述を削除する検定意見を付けた。5社7冊が対象。
多数の生存者が「軍から手榴弾を渡された」「軍の命令で自決するよう言われた」と証言している。また「援護法」の適用において、集団自決が「軍命」によるものとして遺族年金が支給されてきた経緯がある。命令書の不在は命令の不在を意味しない──口頭命令、手榴弾の配布、「捕虜になるな」の教育、スパイ視への恐怖など、構造的に自決に追い込まれた背景があった。
2007年9月29日、宜野湾海浜公園で超党派の県民大会に約11万人が結集。仲井眞知事(保守)、翁長市長(自民党)も登壇。この保革を超えた結集の経験が、2014年オール沖縄結成の直接的な布石となった。最終的に文科省は出版社の訂正申請を承認し、軍の関与を示す記述が一定程度回復した。
琉球新報(1893年創刊、約15万部)と沖縄タイムス(1948年創刊、約13.3万部)の2紙が県内シェアの約98%を占める。全国紙は合計約8,300部に過ぎない。那覇空港に届くのが朝10時過ぎという地理的要因が大きい。
設立者: 尚順(旧琉球王国の王子)、太田朝敷ら旧支配層。沖縄初の新聞。
戦時統合: 1940年、政府の「一県一紙化」で沖縄新報に統合。1945年沖縄戦で廃刊。
復刊: 1945年「ウルマ新報」→1951年「琉球新報」に復元改題。
発行部数: 約15万部 /売上: 62億円(2024年3月期)
主要株主: 従業員持株互助会7%、沖縄テレビ放送4.6%、フジMHD
本社: 那覇市泉崎1-10-3
設立者: 高嶺朝光、豊平良顕ら旧沖縄朝日新聞記者9名。「新聞人による新聞発行」を理念に創刊。
創刊の契機: 1948年6月29日の軍票切り替えスクープが実質的創刊。
朝日新聞との関係: 豊平が戦前に大阪朝日那覇通信部記者だった縁で創刊時から協力関係。
発行部数: 約14.7万部 / 売上: 65.6億円(2023年3月期)
資本金: 1億円 / 社長: 武富和彦
本社: 那覇市久茂地2-2-2
地方紙がシェア70%超の県は他にもある(徳島80%超、富山・石川・福井70%超など)。しかしこれらは通常1紙独占であり、残りを全国紙が埋める構造だ。沖縄のように2つの地方紙がほぼ均等にシェアを分け合い、かつ両紙が同じ方向の論調を持つケースは日本で唯一と言ってよい。
その要因として、沖縄戦の記憶という共通基盤、基地問題への県民の広範なコンセンサス、記者の人材プールの重複(県内大学出身者が両紙に就職)が指摘される。保守系からは「2紙の偏向がオール沖縄を作った」との批判もあり、2015年に「琉球新報、沖縄タイムスを正す県民・国民の会」が設立された。
自民党若手勉強会で百田尚樹氏が「沖縄の2つの新聞はつぶさないといけない」と発言。両紙は共同抗議声明を発表し「表現の自由、報道の自由を否定する暴論」と反論。この事件は逆に両紙の存在意義を強めた。
高江ヘリパッド建設現場で大阪府警機動隊員が抗議市民に「この土人が!」と発言。松井大阪府知事が「出張ご苦労様」とツイートし、本土と沖縄の温度差が可視化された。
98%シェアの2紙が辺野古反対を一貫して報じ続けたことが世論形成に寄与した面がある。逆に近年の若者層が地元紙を読まずネットに移行していることが、オール沖縄の退潮と連動しているとの分析は示唆的だ。メディア環境の変化そのものが運動体の基盤を揺るがしている。
国土0.6%に在日米軍の70%が集中する不条理は保革共通認識。翁長が「辺野古反対」を「県民の尊厳」として提起し、保守本流が離党したという物語が共闘を可能にした。
シングルイシュー依存。翁長の死で求心力喪失。経済界離脱。辺野古代執行完了(2023年末)で争点空洞化。若年層の離反。
2026年9月13日 投開票
翁長雄志は保守の家に生まれ、自民党の中枢を歩きながら、沖縄の尊厳のために党を捨てた。玉城デニーは米軍人の父と沖縄の母の間に生まれ、父の顔も知らぬまま育ちながら、沖縄の声を世界に届ける知事になった。
「オール沖縄」は、保守の反骨と弱者の眼差しが交差した場所に生まれた。その連合体が崩壊の危機にある。しかし、沖縄が置かれた構造的不条理──国土0.6%に在日米軍の70%──は何も変わっていない。
「オール沖縄」という名が消えても、その名が指し示していた問い──沖縄の声は誰が聞くのか──は消えない。
オール沖縄がここまでの票を取ったのは、沖縄の人の心の叫びを代弁したからとも言える。その根底にあるのは「沖縄は弱者であり虐げられている。そのプライドを踏みにじるようなことは許さない」という、ある種の沖縄県民──ウチナーンチュというアイデンティティに対する誇りの表現でもある。
その沖縄の人のムードや空気、感情をつかんだ翁長雄志氏とは、希代の政治家であり、まさに衆の心や感情、空気を読むに長けた洞察深い人間だったとも言える。しかし、時代のテーマはスローガンや魂の叫びでは現実は変わらないというリアルな12年間が今目の前に現れ、そしてそれに対する答えを問われている。それが現在のオール沖縄である。オール沖縄が目指す未来とは。
── 編集責任者:上間喜壽 + Atlas Daily編集部チーム