歴代沖縄県知事の系譜
「ヤマトンチュになりたくて、
なりきれない心」

1945年3月26日、米軍は慶良間諸島に上陸。4月1日、18万の大軍が沖縄本島に押し寄せた。「鉄の暴風(Typhoon of Steel)」と呼ばれた3か月の戦闘で、日本側の死者・行方不明者は188,136人。うち沖縄県出身者は約12万2千人 ── 当時の人口の4人に1人が命を落とした。

生き残った県民は各地の収容所に集められた。住民が収容されている間、米軍は広大な土地を接収し基地を建設。1950年代には「銃剣とブルドーザー」による土地強制接収が進行 ── 武装兵が住民を追い出し、ブルドーザーが耕地をならした。
1955年 ── 由美子ちゃん事件
5歳の少女が米兵に暴行殺害。死刑判決は本国で減刑・仮釈放され、「占領下の正義」への絶望を決定的にした。
1956年、プライス勧告が発表される。軍用地の一括買い上げを勧告するその内容に県民の怒りが爆発。「四原則貫徹県民大会」に約15万人が結集 ── 島ぐるみ闘争の始まりだった。
1960年代、第3代高等弁務官ポール・W・キャラウェイ中将が「沖縄住民による自治は神話(myth)にすぎない」と宣言する。立法の拒否権を連発し、金融界にも介入して琉球銀行経営陣を総辞職に追い込んだ ── この強権統治は「キャラウェイ旋風」と呼ばれ、逆に復帰運動を加速させた。

1968年、初の公選で屋良朝苗が投票率89%で圧勝。1970年12月にはコザ暴動 ── 約5,000人が蜂起し外国人車両82台を焼き打ちした。そして1972年5月15日、ついに施政権が返還された。しかし「基地のない平和の島」は実現せず、「基地付き返還」という現実が待っていた。

行政主席の権限と限界
1952年〜1968年は高等弁務官による任命制。比嘉秀平は復帰尚早論に立ち琉球民主党を結成、親米協調路線をとるも軍用地問題の重圧の中で急死。当間重剛は島ぐるみ闘争を収拾しつつ瀬長亀次郎市長追放にも関与。大田政作はキャラウェイの強権に翻弄され党が分裂、辞任。松岡政保は唯一の米国留学経験者で公選制実現への道を開いた。
屋良朝苗
教師出身の屋良は復帰運動の中心人物。1960年に祖国復帰協議会の初代会長に就任し「即時無条件全面返還」を訴え続けた。1971年の「建議書」に平和の島への願いを込めたが、その建議書が国会に届いた日、衆議院では返還協定が強行採決された。
復帰後の混乱
ドルから円への切替(1ドル=305円)で預貯金が目減り。オイルショック(1973年)で物価急騰。「核抜き本土並み」の約束は果たされず基地はそのまま残った。
沖縄国際海洋博覧会(1975年)
36か国が参加。総事業費は約2,800億円に膨張し「起爆剤ではなく自爆剤」と批判されたが、長期的には沖縄の観光立県の基礎を築いた。


「基地のある限り、沖縄の復帰が完了したとはいえない」
西原町出身、立法院議員を20年間務めた平良幸市(1909〜1982年)は、全戦没者追悼式で知事として初めて平和宣言を発出。730交通変更の準備を進めたが在任わずか約2年5か月、脳血栓で倒れ辞任した。

西銘順治
パラオで幼少期を過ごし、植民地教育の中でいじめや蔑視を受けたが反骨精神で卒業生総代に選ばれた。復帰後初の保守系知事として「中央との太いパイプ」で経済振興とインフラ整備に邁進。海邦国体、首里城復元着手、世界のウチナーンチュ大会と、沖縄の文化的アイデンティティを再定義した3期12年だった。
1987年 海邦国体と日の丸焼却事件
国体で沖縄が男女総合優勝を達成。しかし読谷村で知花昌一が日の丸を切り落とし燃やし「血に染められた歴史を持つ」と宣言。「明るい沖縄」を示す場であると同時に、本土との深い溝を浮き彫りにした。

「沖縄の心」発言(1985年)
「沖縄の心とは何か」と問われ答えた。
「ヤマトンチュになりたくて、なりきれない心」
保守政治家でありながら沖縄人としての根源的葛藤を率直に語った。

大田昌秀
久米島に生まれ、19歳で鉄血勤皇隊に動員。同期125人のうち生き残ったのは37人。戦後は早稲田・シラキュース大学院を経て琉球大教授に。百冊以上の著書で「軍隊は人を守らない」と訴え続けた。1990年、65歳で知事に当選。

1995年 ── 沖縄を揺るがした年
6月23日:平和の礎除幕。9月4日:少女暴行事件。10月21日:県民大会に8万5千人。

代理署名拒否
米軍用地強制使用の代理署名を拒否。最高裁で敗訴したが基地問題を全国に可視化した。
なぜ敗れたか
失業率7〜8%が全国最悪。稲嶺恵一が「経済振興」を掲げ約3.7万票差で勝利。

稲嶺恵一
政治経験なし、財界から「経済再生」を掲げて出馬。辺野古移設を「15年期限」条件付きで受け入れたが条件は反故に。一方でサミット誘致、観光立県への転換など経済面では着実な成果。
沖縄サミット(2000年7月)
名護市万国津梁館でG8首脳会議。投資約1,000億円規模。観光客450万人(過去最高)。

▲ G8首脳集合写真 (PD)
2004年:沖国大ヘリ墜落
CH-53Dが沖縄国際大学に墜落。米軍がキャンパスを封鎖し日本側の立入りを拒否。


仲井眞弘多
通産官僚から沖縄電力会長を経て知事に。観光客数を560万人から717万人に伸ばし、2014年に初の700万人を突破。沖縄21世紀ビジョン(2010年)を策定し、LCC就航やクルーズ船誘致、インバウンド観光の急成長など経済振興で実績を残した。
経済面の成果
・観光客数:560万→717万人(初の700万人突破)
・LCC就航・クルーズ船誘致でインバウンド急成長
・沖縄21世紀ビジョン策定(2030年の長期構想)
・情報通信産業のコールセンター集積が進行
2013年12月27日 ── 埋め立て承認
「県外移設」を公約に再選したにもかかわらず、安倍政権の振興予算約3,460億円(過去最高)と引き換えに辺野古埋め立てを承認。「いい正月になる」発言は県民の猛反発を招き、県議会が史上初の知事辞任要求決議を可決。翁長雄志に約10万票差で大敗した。

▲ 安倍首相との面談(2013.12.25)内閣官房 (CC BY 4.0)

翁長雄志
元自民党中核メンバーが仲井眞の埋立承認に反旗を翻し、共産党から保守系経済人まで「オール沖縄」を結集。2015年には国連人権理事会で沖縄の基地問題を訴え、国と法廷闘争を展開した。

2018年8月8日 ── 在任中の死去
膵臓がんと闘いながら公務を継続。死去の直前まで辺野古への対応を指示し続けた。享年67。

「ウチナーンチュが心を一つにして闘う時には、そのエネルギーは誰も止めることはできない」

玉城デニー
在沖米軍属の父と沖縄出身の母の間に生まれ、父の顔を知らずに育った。ラジオDJから政界入り。2019年の県民投票では辺野古反対が72.15%。しかし国は方針を変えず、2024年には知事の権限を国が代行する前例のない代執行に至った。


2024年1月 ── 国による代執行
辺野古設計変更を不承認とした玉城知事に対し最高裁が敗訴判決。国交大臣が代執行で承認。総工費約9,300億円超に膨張。

▲ 辺野古代替施設 空撮 防衛省 (CC BY 4.0)
| 年 | 当選者 | 陣営 | 主な争点 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1972 | 屋良朝苗 | 革新 | 復帰後の県政運営 | 主席からスライド |
| 1976 | 平良幸市 | 革新 | 基地整理・経済再建 | 屋良後継 |
| 1978 | 西銘順治 | 保守 | 経済振興 vs 基地撤去 | 革新→保守に転換 |
| 1982 | 西銘順治 | 保守 | 振興計画の推進 | 再選 |
| 1986 | 西銘順治 | 保守 | 国体誘致・インフラ | 3選(7万票差) |
| 1990 | 大田昌秀 | 革新 | 基地問題への姿勢 | 12年ぶり革新奪還 |
| 1994 | 大田昌秀 | 革新 | 基地縮小・平和行政 | 再選 |
| 1998 | 稲嶺恵一 | 保守 | 経済再生 vs 基地闘争 | 経済不満で保守奪還 |
| 2002 | 稲嶺恵一 | 保守 | 振興策・サミット効果 | 再選 |
| 2006 | 仲井眞弘多 | 保守 | 経済自立・基地問題 | 保守継続 |
| 2010 | 仲井眞弘多 | 保守 | 普天間「県外移設」 | 「県外」公約で再選 |
| 2014 | 翁長雄志 | オール沖縄 | 辺野古承認の是非 | 10万票差圧勝 |
| 2018 | 玉城デニー | オール沖縄 | 翁長路線の継承 | 8万票差 |
| 2022 | 玉城デニー | オール沖縄 | 辺野古・経済再建 | 再選(6.5万票差) |
産業構造の特徴
・第3次産業が県内総生産の約85%
・製造業比率は全国最低水準(約5%)
・建設業比率が高い(公共事業依存)
・観光業は県経済の約15%(直接効果)
・IT・コールセンター産業が近年成長
基地経済の変化
・1972年:県民所得の約15.5%が基地関連
・2020年代:約5%に低下
・返還跡地(北谷町等)の方が経済効果が高い

由美子ちゃん事件
5歳少女が米兵に暴行殺害。軍法会議で死刑判決が下されたが、本国で収監45年に減刑。さらにフォード大統領の決定で1977年に仮釈放されていた。

▲ 犯人ハート軍曹の徴兵カード (PD)
宮森小学校ジェット機墜落
嘉手納基地離陸のF-100ジェット機が石川市の宮森小学校に墜落。児童11名含む17名死亡、210名負傷。戦後沖縄最悪の米軍機事故。

▲ 宮森小学校の「仲よし地蔵」記念碑 (PD)
嘉手納B-52墜落炎上
嘉手納基地でB-52爆撃機が離陸直後に墜落炎上。ベトナム戦争の激化で沖縄の基地被害が深刻化していた。

知花弾薬庫VXガス漏洩
致死性神経ガスVXが漏洩。サリン・VXガスなど致死性毒ガスが秘密裏に備蓄されていたことが発覚。延べ1,300台超のトレーラーでジョンストン島へ移送(レッドハット作戦)。

▲ 知花弾薬庫から神経剤を搬出するトラック群 (PD)
コザ暴動
米兵の交通事故を発端に約5,000人が蜂起。外国人車両82台を焼き打ちした戦後沖縄最大の民衆蜂起。

▲ 暴動後、焼けた車と米軍兵士 Photo: Larry Gray (PD)
少女暴行事件【大田知事】
米海兵隊員3名による12歳少女への暴行。日米地位協定により起訴前の身柄引渡しを拒否され、県民の怒りが爆発。10月21日の県民大会に8万5千人が結集。SACO設置の契機に。

▲ 宜野湾市での反基地抗議集会(2009年撮影、雰囲気参考)(CC BY-SA 2.0)
北谷町米空軍兵暴行事件
北谷町で米空軍兵が女性に暴行。1995年事件の記憶が生々しい中、再び繰り返された基地由来の性犯罪。
沖国大ヘリ墜落【稲嶺知事】
普天間基地のCH-53Dが沖縄国際大学に墜落。死者なしだったが、大学構内が米軍に封鎖され日本側の立入りを拒否。日米地位協定の問題が改めて浮き彫りに。

▲ 沖縄国際大学に墜落したCH-53D (PD)
北谷町米海兵隊暴行事件
米海兵隊員が女子中学生に暴行。基地の町・北谷で繰り返される事件に県民の怒りが再燃。
オスプレイ配備強行【仲井眞知事】
事故率の高さから「未亡人製造機」と呼ばれたMV-22オスプレイが、県民の反対を押し切り普天間基地に配備開始。

▲ 普天間基地のMV-22Bオスプレイ (PD)
うるま市女性暴行殺人【翁長知事】
元海兵隊員(軍属)が女性を暴行殺害。県民大会に6万5千人。翁長知事は「沖縄に正義はないのか」と声を震わせた。

▲ 「民意は新基地建設NO」(辺野古ゲート前)(CC BY 2.0)
普天間第二小への窓落下
米軍ヘリの窓が小学校グラウンドに落下。児童が運動中だった。同月、緑ヶ丘保育園にもヘリ部品が落下。「世界一危険な基地」の実態が改めて突きつけられた。

▲ 住宅地に囲まれた普天間基地(嘉数高台より)(CC BY-SA 4.0)
米軍基地内コロナクラスター【玉城知事】
キャンプ・ハンセン等で大規模クラスター発生。基地内の感染状況が県に十分に共有されず、日米地位協定の壁が改めて問題に。

▲ キャンプ・ハンセン施設 (CC BY 2.0)
PFAS汚染問題【玉城知事】
嘉手納・普天間基地周辺の水源から高濃度の有機フッ素化合物(PFAS)が検出。泡消火剤が原因とされるが、日米地位協定により基地内の立入調査ができない。

▲ PFAS汚染源とされる嘉手納基地 (CC BY-SA 3.0)

保守→革新への転換
保守知事が基地で政府に譲歩→「裏切り」→革新が政権奪取。
例:仲井眞承認→翁長圧勝
革新→保守への転換
革新知事が基地闘争に注力→経済停滞→保守が「経済」で奪還。
例:大田闘争→稲嶺当選
2026年は玉城知事の任期満了選挙。保守側は古謝玄太を擁立し12年ぶりの県政奪還を目指す。歴代知事の系譜が示すのは、沖縄の有権者が「どちらが沖縄の未来に責任を持てるか」を、時に理念で、時に生活実感で判断してきたという事実である。
「沖縄の心」は一つではない。しかし、沖縄を想う心は一つである。